昭和五十年十二月三十一日 御理解第八十二節
「大蔵省は人間の口を見た様なもので、その口に税金が修まらぬ時は四分板張った戸一枚で寝ては居られぬ。どこの太郎やら次郎やら分からぬ様になろうぞ。」
国家という家が立ち行くと云う事のためには、大蔵省は丁度お国の口の様なものであって、そこに税金という食べ物が入らなければ国家は立ち行かん。
国家が立ち行かねば国民も最後に何処の太郎やら次郎やら分からぬ様になろうぞと云う事になります。
おかげを頂いて本当に有難く本当に沢山の税金が納められる様なおかげをお互いにおかげを頂かにゃいけません。
どうすりゃ税金が安うなるだろうかと云う様な事を考えずに、どうすればね、有難く楽に税金が沢山納められるだろうかと考えた方がほんな事ですね。それには働きが充分に、利益が充分に頂ける様にお繰合わせを頂かねばいけない。どうすりゃ税金が少なくなるじゃろうかの研究ばかりせずに、どうすりゃ税金が増える、増えるというより沢山の税金が納められる様になるじゃろうかと、そこの私は、云うならば研究をしなければならない。
どうでしょうか、皆さん税金の安うなる研究しよるのと違うじゃろうか。インチキしてからでもごまかしてからでも、いえそれは今の時代はごまかしたりインチキしたりしなければ、その税務署そのものがね、ちっとばかり狂うとる。本当に正直者が馬鹿を見る時代だから、まあそれに即応して行かねばならんとなるとね、税金が、こちらが言っている事を本当に聞いて呉れると良いですけれども、家は百万払えると云うたら、あれが百万払うと云いよるから、本当は二百万も払えるとじゃなかろうかと云ったね、色眼鏡で見られるところもあるから、そこんにきはそういう精神を持って税金が出来るだけ少なくなるようなお繰合わせを頂かにゃいかんです。
精神は今私が申しました様なところを頂かにゃいかん。そして本当のところにお国が立つためにです、例えば自分の頂いて居るお商売ならお商売をその実力がです、本当にお国に貢献が出来るような支払いをさせて頂きたい。まあ狐と狸の騙し合いの様なことですけれども、今の私はそのまあ私は詳しい事は分からんけれどもです、まあできるだけごまかすところはごまかして出来るだけ少なく納めさして頂いて、丁度良い位のものだろうと思います。それもまあよう分からんけど、根本のところはです、私は本当のところを税務署に認めて貰って、そして出来るばかり一ぱしの税金が百円よりも千円の、云うならば税金が払えるような私は国民が沢山できてその国は必ず栄えると思う。国が栄えなければやはり国民の栄もない。 所謂どこの次郎やら太郎やら分からん様になったんじゃつまりません。だからそういう理と云うものをです、私共は信心の上に頂いて行かねばいけません。
今朝から、もう今年も今日一日で五十年と云う、昭和五十年が終りになる訳です。新たな年を迎えさして貰う今日はその一年の御礼やら、またお詫びやら限りなくおかげを受けてきたことの、おかげを今晩の除夜祭に取りつかねてお礼を申し上げたり、お詫びを申させて頂いたりして、良い新たな年を迎えさして頂くことをお願いするお祭りが今晩あります。
そこでまあ、お礼やらお詫びははっきりしているんですけど、なら来年新たな年に入っての、云うなら信心目標と云うか、信心のお互い焦点をです、何処に置いて来年吉い年でありたい、有難い年でありたいとするかと云う事をお願いをさして頂いとりましたら、糧(かて)心の糧とこう申しましょう、と云う字を小さく頂いたり大きく頂いたり致します。その小さく頂くと云う事は、まあ私共氏子一人一人の糧であろうとこう思うのです。
大きな糧はこれは神様がままになられる、所謂神様の糧だと思うた。そうすると神様がままになられると云う事と、私共がままになると云うおかげを頂くために神様が大きくままになって下さるための信心とはどう云う事だろうかと云う事になるのです。
だから来年も本当に神様の糧になろうと云う事になります。
そこでです、云うなら神様の糧になると云う程しの信心は、どう云う事だろうかと、私は最近皆さんのお届けを聞かせて頂いて、ああこりゃ合楽がいよいよ有難い、云うならば内容のなかった合楽が内容が段々出来て来るなあと云った様なものを感じます。
と云うのはです、お互いのお家にお祀りをなさって居られるお神様がね、非常に生き生きと元気づいて来られたと云う事です。
合楽でまあだ神様を奉斎してない人もあります。けれども、御神米を拝んだり天地書附を拝んだり、奉斎したりしてそこで御祈念をなさる。とりわけ最近大祓信行がこの様に盛んになって参りました。各家庭で大祓信行がなされておる。遠方に行って居る子供達にもそれぞれ連絡をして、所謂親子同盟を結んで同じ時間に大祓を上げようじゃないかと云う様な働きが今合楽に起きて居る。
ところがです、宅の神様の、云うならばまあ久留米市の市長さんじゃないけれども、来年の久留米市のテーマの指導方針の中にです、活力と云うのがある。活々とした力、活きた力と云う事ですね。活力、その神様のお宅の神様の、云うなら活力が出来て見えられた。活々として見えたと云う事です。
例えば私の方の二番目の光昭夫婦で毎晩ここが終ったら二人で話し合って大祓信行を今迄やってなかったんです。そりゃ麗々しゅう床の間に天地書附を奉斎して大黒様をお祀りして、しとりますけど、今迄は只大祓信行などと云う事はなかった。こういう風に云われる様になって大黒様にもお茶がお供えされる様になり、所謂天地書附の前には御神飯がお供え出来る様になり、しかも夫婦が一緒に大祓信行を、所謂勤めさして貰う。ところがね、自分達も有難いけれども神様が有難いと思いなさる証拠にです、もう大変おおいさみが多くなった。次には嫁などは色々神様からお知らせを頂くようになった。これは神様が活々として見えたからです。ね、やっぱりですね。お宅の神様が活々して見えねば駄目です。
合楽では一生懸命拝みよる。お話は一生懸命頂きよる。家の神様はてんでもう、お榊は枯れてござる。お三宝はあっち向いたりこっち向いたりしてござると云う風では神様の勢いは出らんと、そして皆さんに分かって頂きたいのはね、それこそ大蔵省はお国の口みたいなものでそこに税金が納まらなかったらお国は潰れる。お国は衰微する。何処の次郎やら太郎やら分からん様になって来ると云う事と同じ様に税金は出来るだけ少なく、どうしてごまかそうかと云う事ではなくて、どうしたならば沢山の税金が沢山納められるだろうかと云う工夫をしなければならない様に、どういう信心をさせて頂いたら神様がままになられるか、どういう信心をさせて頂いたら神様が活々としてみえるか、神様にどうぞ活々して下さいと云うても、糧も神様にお供えも出来ず、ね。神様が一番喜んで下さる、云うなら神様にも糧がいると云う事なんです。
私はもうさしずめね、云うなら大祓信行位素晴らしい神様の糧になられることはないと思うです。先ずは活力が出る。神様が活々して見えるです。
その活々として見えれるその神様に対して、合楽示現活動参画という様な神様がいよいよ動きなさらなきゃおられん、発動ましまさなければ居られない働きを願わして頂くと云う事が、とりも直さず神様に糧をお供えすることであり、神様のその糧に依って活々として下さった神様の活々とした、云うならば活動して頂くことになるのです、ね。
皆さん今日はどうでも一つね、まあだ実行してない人がもし在るとするなら本気で実行なさいませよ。
もう無条件、只一心不乱に大祓奏上さして頂くことはもう必ず心が清まります。だから、清まるまでやっぱり雑念が起きて来る。汚い心が起きて来る。それもすっかり消えて無くなるまで私は大祓信行さして頂いて、その清らかな心をです、神様へお供えすることになるのですから神様が活々として見えない筈がないです。
今合楽でも私の御祈念中にもうそれこそ、大きな大きなおいさみが何回も何回もあるでしょうが。朝の四時の御祈念頂かれる方達は分かるでしょう。神様がもう活々としてみえている証拠です、ね。 そこに神様の御発動を促すと云うか、神様の御発動、所謂合楽示現、神様が不思議な働きを示し現しなさると云う事は、そういう御発動が始まるのです。先ず宅の神様から皆さんの心の中の神様は、朝参りなら朝参りをなさって、御理解と云う糧を受ける、心が活々として来る、ね。そうでしょう。そしてその活々とした心で日々の御用をさして頂く。宅の神様が活々として見える。しかもそれをですね、十年と続けて行くならばです、もうそれこそ願いが成就しない事はないおかげになって来る筈です。
ですからこの大祓信行と云うのは、第一心が清まると云う事と、信心辛抱力、辛抱力をつくると云う事もある。ありましょうよ、永年の間には、そこを例えば修行と思うて、大祓信行に打ち込むならばです、十年と信心が続いたら我ながら我心が祀れれる様なおかげにもなって来る。無条件です。
あれも頼まんならんけん、大祓ば十巻上げる様なケチ臭いもんじゃなかもん。
今迄はおかげば頂かんならんから大祓十巻上げます。条件付じゃった。それじゃいかん。無条件の大祓信行ばさして頂くと云う事は神様がいよいよ活々として見える。そこに神様が一番喜んで下さる合楽示現活動に参画さして下さいと云う様な願いが立てられます時にです。やっぱり来年も示現活動と云う大きなスローガンの元に、まあそれを言うと、和賀心時代を創るとか、所謂天地書附、「生神金光大神天地金乃神、一心に願え、おかげは和賀心にあり、今月今日で頼めい」と仰る、その和賀心を追求して行くと云う事になりましょうが、合楽示現活動に参画すると云う事は、先ずは自分の心が活々として来なければ、自分が助からなければ、為には先ず神様にも助かって貰わなければならん。神様も活々としてみえる為に、私は御神飯をお供えする様な積もりで私の唱えさして頂くところの大祓十巻なら十巻を神様の糧になる様な一つ信行を本気でさして頂いて、私はこの大祓信行の徹底にあると、来年はそういう風に思います。
合楽に御神縁を頂いた限り、もう絶対朝晩です、大祓五巻なりとん十巻なっとん何処の家庭にでも上げられておるこの徹底に私は来年五十一年度は皆さんにおかげ頂いて頂かなければならないと云う様に思うております。
今日は人間の国民としての心掛け、信心さして頂く者の、いわば税金に対する心掛けを説いてございます。それを私共は、今日は神様のお口に神様の糧になられる様な働きと云うか、おかげを頂かして貰う、神様がままになられる、神様が活々として見える。お宅の神様はどうも栄養失調になってはござらんかと云う事です。
神様が働こうにも働けなさらん、手も挙がらん、足も挙がらんかと云うのです。神様が先ず活々として見える事のためにです、大祓信行は神様の糧だと、ひとつ分からせて貰うて、本気でその神様の糧になる信心信行をです、一ついよいよ励んで行きたいと思います。どうぞ。